私は主に中国と日本(宿曜道)の資料を研究していますが、占星術をちゃんと理解するには、インドとイランの背景もよく調べる必要があります。ホロスコープ占星術が西ヨーロッパにも伝えられたため、たまにラテン語の文献と比較する価値も高いです。
チベット語の文献の場合、『Kālacakra』以外に今まであまり扱っていないですが、その分野も重要でしょう。チベット文化圏の占星術の詳細をよく説明してくれる学者が来れば、幸いです。チベットの資料を漢文の占星術と比較してみれば、面白いでしょう。
敦煌文献において漢文の占星術の文書が残っているのです。例えば、「Pelliot
chinois 4071」はホロスコープの解説です。その内容を分析してホロスコープの図を想像できました。
British Museum. International Dunhuang Project. Pelliot chinois 4071. |
日本でもホロスコープの図が残っています。「1113年」の宿曜勘文というようなものです。
「1113年」の宿曜勘文 |
このような資料で唐朝中国と平安時代の日本の占星術を想像し、その文化と技術を説明できると思います。チベットでも似ている占星術がありますが、学術的に説明している学者がいるかどうかは見ていません。今もインドのDharamshalaに行くと、チベット人の占い師に会えます。ネパールもそういうラマに会ったことがあります。
その点で、Berthe Jensen先生が紹介してくれたチベットの資料をシェアしたいです。これはLeiden大学の図書館のものです。
唐代中国の占星術もおひつじ座を「白羊宮」と呼ぶのです。やぎ座を「磨羯宮」と呼ばれます。それは梵語の「Makara」(もともとイルカであった可能性)です。上の図では竜に見える獣であり、実際には中国風の図像です。日本でも非常に似ている図像を指摘できます。例えば、『仏像図彙』(1690年)の「十二宮 」における「磨羯宮」。
上のチベットのイメージだけでチベット人はインドではなく中国の図像を意識して利用していたと解釈できるのではないかと思います。このため、占星術の歴史を調べる時、同時に図像学にもよく注意を払うべきだと思います。
このような方法で、もともとイラン文化圏まで遡ることができる「中国風」の図像を発見しました。例えば、日本密教の「現図曼荼羅」における土星(土曜)と天秤宮をアラビア語の写本と比較すると、非常に似ていると言わなければなりません。
天秤宮 左:『Kitāb al-Bulhān 』(十四世紀) 右:『現図曼荼羅』 |
天秤ばかりを持っている老人は土曜です。なぜかというと、てんびん座は土星のエグザルテーションからです。『現図曼荼羅』における土曜も老人です。
この姿は実際にはインド系ではなくイラン系です。以下のイメージを見るだけでそれを更にギリシャ系エジプトの文化圏のクロノスという神まで遡ることができます。
真言宗の『現図曼荼羅』は、もともと中国の『胎蔵曼荼羅』から作られたものです。後者を日本に伝えた時、同時に流行っている占星術の図像が曼荼羅に入り込んでしまったのではないかと考えられます。なぜならば、『胎蔵曼荼羅』のインド系の図像を表している『胎蔵図像』と『胎蔵旧図像様』(平安時代)における「土星」が全く違う姿だからです。
『胎蔵図像』の土星 |
面白いことに日本の美術史における土星は普通に老人の姿です。例えば、以下の絵(ニューヨークのMet博物館)。
New York Met. 1975.268.15. https://www.metmuseum.org/art/collection/search/45617. |
この土星の杖の先端は鎌(かま)のような形です。ギリシャのクロノスも同じように鎌を持ち、小麦を収穫する神です。
結論として占星術の歴史を研究する時、美術史は不可欠な分野であると言わなければなりません。
No comments :
Post a Comment